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旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

旧い映画を楽しむ。なでしこの棲家

≪パリの空の下セーヌは流れる≫

詩人と言われるルネ.クレールは
日本の小津安二郎監督に多大な影響を与えた人。

楽天的なその映画は
そう言えば小津作品と共通するところがありますね。

そういった目で見るとわたしが勝手に思うのですが

デヴィヴィエは吉村公三郎監督に合い通じるものがあり、

ルノワールは黒澤監督に
ジャック.フェデーは溝口健二監督にと少々無理があるにしても
どこか共通点を感じてしまうのです。

ならば木下恵介監督は??んん・・・・
これがイタリアのデシーカあたりに匹敵するかなあと・・

そのルネールと相反するペシミズム・・つまりセンチメンタルでもあり
ケレン味多い芝居っけたっぷりで見せてくれるのがジュリアン・デヴィヴィエだと思うのですね。

先に書きましたようにジャン・ギャバンあっての
デヴィヴイエ監督。
ジュラール・フイリップあってのルネ・クレール監督とは
よく言われるのですが

今回はそのふたりのスターが出ていない作品を取上げてみます。

ルネクレールの作品ではなんと言っても≪パリの屋根の下≫ですね。これはいち早くとりあげました。
今回は≪自由を我らに≫を
取上げてみようと思います。

そしてデヴィヴイエは
紛らわしい題名ですが、
  ≪パリの空の下セーヌは流れる≫や≪舞踏会の手帖≫
後は流れに任せて取上げてみましょう。

そしてルイ.マル監督の≪鬼火≫
トリュフォーの≪突然炎のごとく≫など
私の手にはもてあますような事になるかもしれない
ヌーベルバーグ作品にも挑戦してみましょう。

ということで本日はデヴィヴィエの
   ≪パリの下セーヌは流れる≫・・

この映画の主題曲も
≪パリの屋根の下≫と並んでシャンソンの名曲です。

パリの市井の人々の暮らしと事件を
絡み合わせて人間味豊かな構成と
人生を描いて独壇場のフランスのエスプリを
余すところなく散りばめて描いております。

ところでこの作品に登場する
何度も何度も国家試験に落第する外科医師の卵がいるのですが
この人,
後にドロン映画の≪ボルサリーノ1.2≫両作品に
マルセーユの警部役で
ちょっととぼけた味のある演技をしていた役者さんの
若き日の姿だなと気づきました・

簡単なストーリー

その日の暮らしに困っているおばあさんは
パリの下町のアパートで何十匹という捨てネコを飼っている。

もう二日もえさを与えていず、少々ヒス気味の猫達。

”おまえたちのえさを手に入れるまではあたしも食べないよ。”と今日も町にネコのえさを恵んでくれる人を求めて出かけてゆく。

お隣に住む食料品店の妻は”もういかしこも貸しがあるから今日はミルクもあげられない”とやんわりと断った。

そして
老人施設では身寄りの無いお年寄りに施設内で食事を提供しているが持ち帰りの食糧はないと
おばあさんに断った。

お隣の食料品店には可愛い女の子がいる。
今日は学校でテストの結果が悪くて
帰れば、お父さんにぶたれると途方にくれ歩いていた。
窓から少し年上の男の子が心配して声をかけ、
家でお昼ご飯を食べさせ
二人で探検に出かけようとセーヌ川の方へ出かけた。
樽に乗って遊ぼうと・・・・

折りしも少し離れたセーヌ川河畔で
釣りをしていた町の人気者のオヤジが川に浮いている
土左衛門をを見つけおまわりさんに知らせた。

近頃通り魔が横行しているようでその被害者だろうと言う事だった。

田舎から花の巴里へと家出をしてきたドニーズという美しい娘は
モデルのアルバイトをしている女友達のアパルトマンに
転がり込んだ。

文通をしていて愛し合った男性にも
会ってはっきりと伝えることがあった。

そして彼女は占いのマダムのところへ行った。

マダムは最初は星占いで彼女に恋人がいるねと言った。

ドニーズは想いを寄せている人がいてしきりに恋愛運を
占ってもらいたがった。

マダムは手相と水晶占いから
”あんたは強運の持ち主だ、相手の人からは愛されているし、
名誉もお金も・・・それも大変な大金持ちに
一夜にしてなれる運命にあるよ”と・・・・

遺産でも入るような親戚がいるかい??宝くじでも買っているかい??と言われた。

ドニーズは浮かれた気分で街に出て宝くじを買った・
終わりが7の数字とマダムに言われて。

ドニーズの女友達には医学生の恋人がいたが
外科手術の腕はすごいものなのに
なぜか国家試験にはいつも落ちている。

彼女はアルバイトのモデル業の受けがよく
忙しかった。
その上ニューヨーク行きの話などもあったが
恋人を捨てることが出来ずに悩んでいた。

彼を心底愛していたからだ。

マチアスという名の画家は陰気臭く
変質狂で 通り魔 は彼だった。

銀婚式を迎えたエルムノ夫婦がいた。
お祝いをしようと隣人や親戚のものは工場へ出向き
ストライキのさなか
一時の休みをもらい
セーヌ川河畔でみんなでパーテイーを開いた。

女の子は一緒だった男の子から河岸に放り出され
どうやって家に帰っていいかわからずに
彷徨っていてマチアスに出会った。

少女はなんの恐れもなく彼に声をかけた。

マチアスは純な幼女の仕草や言葉に心洗われ
一時の安らぎを感じた。

ミラボー橋で少女に帰り道を教えて別れた。

ドニーズは恋人・の作家に会いに行った。
彼は近所の公園にいた。

イタリア旅行の際に飛行機事故に遭い
下半身付随となっていて
ドニーズに結婚は諦めてくれと言った。
呆然と立ち尽くす彼女だったが
それも運命と諦めてアパートへ帰った。


少女は帰る途中で街の騒々しさに足がすくんだ。
少女が誘拐されたのでは?という騒ぎだったが、
街を歩きつかれてくたくたのおばあさんと出くわした。

ミルク代を持っているという少女の言葉に
目の前のドラッグストアが目に入り
ふとネコのミルクを・・・と思った。
がおばあさんは思いとどまって少女を家に送り届けた。

家ではネコの空腹も限界で
おばあさんに飛び掛るネコもいた。

少女と別れたマティアスは
酒場で商売女にバカにされむしゃくしゃして酒場を出た.

また女を殺したくなり
行き当たりばったりの女性を刺し殺した。

警官がすぐさま追った。
マティアスを撃とうとしてストライキが終わって自転車で
家路につこうとしていたエルムノに流れ弾が当ってしまった。

刺された女の子は身分証からドニーズと判明。
宝くじは一等の当選った・

マティアスは警官に追われていて心臓発作を起こし,倒れた・

家でお祝いをしようと待ち構えた家族に
エルムノの事故が知らされた。

今度も試験に落ちたあの医者の卵は落ち込んで病院にいた。
担ぎ込まれたエルムノの手術にあたった。

おばあさんのもとに
少女とお母さんがミルクをいっぱいもってやってきた。
娘がお世話になりました・・・・


翌日の新聞にはこう出ていた。

宝くじに一等当選の美人通り魔に刺され死亡。
国家試験に落ちても
外科手術の腕は一流、撃たれた溶接工一命をとり止める・・・と・

★いかにもデヴィヴイエらしい淡々としているなかでのドラマチックな盛り上がりです。

パリの空から街を見下ろしたところに人々の生活が息づき
美しい巴里は刻々と美しくなっている。

7つの丘と24の橋がある巴里。
人情とドライさと切なさと
可愛い少女の名演。

愛らしいドニーズの不運。
彼女は恋愛とお金の占いは回答をもらったけれど
生命運は見てもらわなかったのですよね。

こんな巴里。あんな巴里。
どんな巴里がまだまだあるんでしょうか・


それまで、こちらでも紹介した
名画といわれるルネ.クレール監督の
≪巴里の屋根の下≫や≪巴里祭≫など巴里の街を描いた作品には
美しい唄はあった.
そしてパリも生きていた.

しかし今日紹介する作品のような
苦い人生の味は描かれなかった。
ふんわりとした哀愁は漂っているものの
これほど肌をおののかせるほどの現実の厳しさをリアルに
描いていなかった。

パリの世の中も変わり、
ジュリアン.デヴイヴイエ自身が過去に描いた
すばらしい≪旅路の果て≫などの作品よりもっと
観客に尽き向けた苦い人生ドラマである.

フランス映画は時に三文小説のようなストーリーとも
みられがちだが、
それを深い哀愁や、
フランス料理そのもののように味わい深い作品となる。

現実とはうまく口に合う料理とは違う。
しかし心をこめて味わえば、
上手く言い表せないような良い味があるのと共通するのでは??

わたしはカッコイイパリより、
そんな味のある浅草のようなパリが好きだ.

こういった古い巴里にはそんな浅草の匂いがある.
A.ドロンやJ.ギャバンでさえ
アメリカやイギリスのような
内面のスマートさは見られないから
却ってーー素敵ーーなのである。

作  仏 1952年度
監督 ジュリアン.デヴイヴイエ
出演 クリスチアーヌ.レニエ/レーモン.エルマンチェ/
     シルヴイー/ダニエル.イヴェルネル
     ジャン.プロシャール/マリー.フランス/
ナレーション  フランソワ.ペリエ  


  




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